『ドラゴンクエスト』T〜Yにおける勇者の境遇に関する一考察


 これまでに6本の「ドラゴンクエスト」の名を冠するゲームが世に発表された。

 最も古いのは1986年5月27日に発売された「ドラゴンクエスト」。あれからもう13年もの月日が流れたことになる。この年に生まれた子どもが今ではもう中学生! 当時、中学生だった少年少女たちも今では25歳を超えているというわけだ。

 その間に発表されたDQはわずかに6本。2年に1本の割合にもならないこの怪物ソフトは、ファミコン→スーパーファミコンとハードを換えながら、今冬、シリーズ第7作目が、プレイステイションの目玉ソフトとして発売される予定である。(事実、2年前にDQ7をPSで発売する、という発表を聞いて、筆者ありりん7はPSを購入したのであった)

 オリジナルのDQ以外のものとしては、SFC版の「DQ1・2」、「DQ3」、「トルネコの大冒険」。GB版の「DQモンスターズ」、「DQ1・2」。PS版の「トルネコの大冒険2」などがある。
しかし、ここではオリジナル以外はその研究対象からはずすこととする。


 DQ1〜3までは、「ロト3部作」と呼ばれ、実はひとつの物語として完結する形をとっている。
そして、DQ4〜6までは、「天空シリーズ」ということで、「天空城」が物語の後半で登場し、重要な役割を担うことになる。ただし、物語相互の結びつきは特になく、まれに同名の人物がどこかの町にいたりすることもあるが、それがとりわけ大きな意味をもつわけではなかった。
 そして、この冬に発表されるDQ7は、新シリーズの1作目という位置づけとなるのであろうか?(この件について、堀井さんは、肯定も否定もしていないが、現段階ではDQ8や9のことまで考える余裕はない、というのが本当のところではなかろうか?)
 おそらく「ロト3部作」にしても当初からそういう発想があったわけではなく、話を進めていくうちにそういうストーリー展開を考えついたにちがいないと思われる。


 1995年に発行されたVジャンプ増刊「クロノトリガー」の中で、堀井氏は対談で「ドラクエは、メインのグラフィックふたりとか、プログラマーもメインで2、3人とかいうレベルで(制作している)」と発言している。
 つまり、FFなどに比べると、ドラクエは問屋制家内工業的な小規模な人数で制作していたことが裏づけられるのである。それに対して、FFなどは、いくつかのグループからなる分業制をとっているようで、イベントごとにチームがいて、それをつないでいくことによって一本の作品として完成していくというしくみになっているわけだ。だから、制作期間がDQに比べて短いし、ひとつひとつのイベントがけっこう派手で、みせどころが凝っているというつくりになっているのだ。

 また、DQは、あくまでもゲームデザイナー・堀井雄二の「作品」であるため、何度もつくりなおしたり、物語のあちこちに伏線が引いてあって、それがやがて統合されていくつもの謎がとけていく、という構成で一本の作品が完結している。
 この作り方は、糸井重里氏の「Mother」シリーズも同様である。これらの作品においては、登場人物の一言一言に至るまで作者の配慮が行き届いているといえよう。



 さて、前置きが長くなってしまったが、本稿は、DQ1〜6における主人公の境遇について考察してみようというものである。いうなれば「勇者」の生い立ち列伝である。
では、DQ1から順に見ていくことにしよう。


 DQ1・・・・・現在、GB版でその冒険を終えたばかりの人もいることだろう。
名作「ドラゴンクエスト」の冒頭シーンは、アレフガルドのラダトームの城の王様との会話から始まる。「おお ○○○○!  ゆうしゃロトの ちをひくものよ! そなたのくるのを まっておったぞ。」と語る王様。

 主人公○○○○(自分の好きな名前)は、なんといきなり「勇者」である宿命を負わされていたのだ。しかも、「ロトの血を引く者」という血統まではっきりしている。しかし、ロトというのは何者なのか、いつごろの人なのかは明かされないままに物語は展開していく。つまり、DQ1において、勇者は唐突に冒険の旅に出ることになるのだ。

 その昔、勇者ロトが神から光の玉をさずかり、魔物たちを封じ込めたというが、世界を支配する竜王に光の玉を奪われ、魔物が復活してしまっている。その竜王を倒し、光の玉を取り戻すというのがこの勇者の旅の目的なのである。

 たしかに、唐突な始まり方であるが、ファミコン初のRPGということで、のんびりと勇者について語っているヒマはなかったのだろう(あるいは容量が足りなかったのだろう)。



 つづくDQ2。竜王を倒した勇者とアレフガルドの王女ローラ姫とが結婚し、新天地を求めて旅立ち、やがて美しい国を築く。そしてそれから100年後・・・・・これが物語の舞台である。勇者とローラ姫の子孫は3国に分かれて平和に暮らしていた。ところが、大神官ハーゴンの率いる魔物の軍団が姉妹国のムーンブルクの城を攻撃しているという知らせがローレシアに届けられ、主人公であるローレシアの王子がハーゴンを倒すために旅立つことになるのである。そして、サマルトリアの王子、ムーンブルクの王女らと力をあわせて大神官ハーゴンと戦うというストーリーである。

 この場合、勇者の境遇ははっきりしている。つまり、DQ1の勇者の血をひくローレシアの王子という由緒正しい人物である。



 DQ3の主人公は、アリアハンという大陸に住む戦士オルテガの子。
 16歳になった日にお城へ行き、魔王バラモスを倒すよう命令を受ける。主人公の父オルテガはすでに旅に出ており、その消息も知れない。
勇者は母親に育てられた母子家庭の子どもである。
そのせいか、旅に出てからも家に帰ると母親は、「わたしのかわいい○○○○  おともだちもいっしょにゆっくりやすみなさい」と過保護なまでに歓迎してくれるのである。

 バラモスを倒して喜んだのも束の間、実はバラモスよりもおそろしい大魔王ゾーマが世界を破滅させようとしていることを知り、再び旅立ったのが闇の世界「アレフガルド」。(あー、これは言ってはいけないことなんだろうか? ま、みんな知ってることですよね) ここにゾーマがいるのだが、それを倒すために必要な光の玉は上の世界の竜の女王が持っていた。
この竜の女王が死ぬ間際に産んだ卵がのちに竜王となるのだ。そう、つまり、ゾーマを倒し、アレフガルドに光をもたらした勇者こそDQ1の「ロト」その人であったのだ。

 つまり、時代的には、DQ3→DQ1→DQ2という順のお話としてつながっていることになる。これがいわゆる「ロト3部作」であるが、DQ2で世界に平和をもたらしたあとの話はまだない、ということになる。今でも平和が続いているのだろう。



 さて、「ロト3部作」の後、新しいシリーズが始まる。

 DQ4の主人公は「勇者」という境遇に生まれてしまった子供である。しかも、男の子か女の子かはプレイヤーが選択できるということになっている。
彼(または彼女)は隔離された村に住み、勇者としての修行をしていたが、ある日突然魔物たちが村を襲い、主人公の村はいきなり大ピンチ! 
デスピサロという敵が勇者の復活をおそれてまだ子供であった主人公の村を魔物に襲わせたのだ。村の人々は勇者を守るために魔物とたたかい、となりのおねえさんはなぜかモシャスをつかって勇者になりかわり、身代わりとなって殺されてしまう。
こうして、ひとり生き残った勇者はデスピサロを倒すために旅に出るのだが、デスピサロにもいろいろと事情があったりして、なかなか泣かせるストーリーとなっている。

DQ4は、唯一ファミコン版しか存在していないため、今ではなかなかプレイすることが難しい作品である。
しかし、そこに登場する個性的なキャラクターたちの名はいまだに色あせることなく語り継がれ、最近ではトルネコがダンジョンにもぐって元気な姿を披露してくれている。

ほかには、戦士ライアン、王女アリーナ、僧侶クリフト、ジプシー姉妹のマーニャとミネアなど、それぞれ独立した物語ができるほどの愛すべきキャラたちばかりである。
中村光一さんに、トルネコだけでなくこういったキャラを使ってもっとゲームをつくって欲しいところである。(例えば、マーニャとミネアの音ゲーとか、アリーナの格闘ゲーとか・・・)



 つづくDQ5の勇者は、パパスという男に連れられて船で旅をしているところからスタートする。
パパスは実はグランバニアという国の王様で、妻のマーサを探して旅をしているのだった。
その子(主人公)は、そういった事情を何も知らされていないが、長い年月を隔てた旅を通して、やがてグランバニアにたどりつき、自分が王子であることを知るのである。
つまり、ただの少年かと思ったら、ちゃんとした家柄の出だったというわけ。

やはり勇者たるもの高貴な家柄からしか出ないというのだろうか。



 現在のところ最新作であるDQ6の主人公は、ライフコッドという村に住んでいるごく普通の少年である。
妹のターニアと一緒に暮らしている。両親はどこにいるのか? なぜ妹と暮らしているのか? そういったことが謎である以上、あまり「普通」とは思えないが、とにかく特に「勇者」であるとか「魔物使い」であるというようなことはなさそうである。

 村長から村まつりで使う「精霊のかんむり」を買ってきてほしいと頼まれて、シエーナの町へ向かうところから物語が始まる。まぁ、この主人公、実は本当に「普通の少年」なんかではないのだが、その正体は秘密にしておこう。
 ただ、DQ6においては、はじめから主人公が「勇者」というわけではなく、転職によって誰でも「勇者」になれるのだ。(ただし、主人公が最も勇者になりやすいという設定になっているけどね)

 DQ6は、複雑なストーリーで、いわば「自分探しの旅」とでもいえばいいのだろうか?  もはやドラゴンを退治するというタイトルは意味を持たなくなってしまったのであった。



 以上、「ドラゴンクエスト」1〜6における勇者(主人公)の境遇について考察してみたが、1〜3とそれ以後では、主人公の設定そのものが謎につつまれていることがわかるだろう。
DQ7では、漁村の息子アルスが主人公とされるが、この少年が我々の分身となってどんな旅へと導いてくれるのか、たいへん興味深いところである。
 DQ7をクリアした暁には、この少年についても考察する機会を持ちたいと思う。

長い文章を最後まで読んでくださったあなた、そうあなたですよ! ありがとうございました。(あんたも好きねぇ) 

                                                           (1999年9月30日 脱稿)